今日は息子と難波に出かけた。
ポケモンGOをやるためだ。
かつては引きこもっていた彼が、今は連日外に出ている。それを考えると、もはや引きこもりとは言えないかもしれない。
とはいえ、電車の中や人混みでは怯えた様子だった。
緊張していたんだろう。
けれど、彼は「楽しかった」と口にした。
これだけ外に出られるようになった今、もう引きこもりじゃないのかもしれない。
これまで家に閉じこもっていた息子が、難波の喧騒の中でポケモンを追いかける。
それを目の当たりにしながら、自分でも何かが変わりつつあるのを感じた。
電車に乗って外に出る、それだけでも大きな進歩だ。
息子の中で何かが動き出している。
確かに、彼はまだ不登校だ。
けれど、それが今の時代にどれほどの意味を持つのか、少しわからなくなっている。
生成系AIが発達し、社会は急速に変わりつつある。
学校で教わることが、果たして今の彼に必要なものなのか疑問に思うことが多くなった。
教科書の知識が彼の未来にどれほど役立つのか、それよりも彼が外で見つけたものの方が、よほど価値があるのではないかとさえ思える。
息子は今、新しい一歩を踏み出した。
彼が見た風景、感じた恐怖や楽しさ、そういった経験が、何よりも大事だ。
社会に対する恐怖と興味、その狭間で彼は揺れ動いている。
だが、確かに息子は外に出た。
引きこもりだった息子が、もう一歩を踏み出した。
その一歩が、これからどこへ彼を連れていくのかはわからない。
だが、それが始まりなのは確かだ。