彼はもう「引きこもり」ではないのか?
「シェフの隠し味」として知られていたクレイジーソルト。
店頭で堂々と販売されている事実に矛盾を感じながらも、それを使わずにはいられない私たち。
そんな矛盾に満ちた日常を、まるで皮肉をこめて見つめる小学生がいる。
彼は一度、不登校と引きこもりのダブルパンチで家に閉じこもっていたが、今日は違う。
スマートフォン片手に、ポケモンGOのために近所の大型ショッピングモールへと足を運び始めたのだ。
「明日は万博記念公園に行くよ」と、息子は言った。
かつて彼が見せていた無表情な顔とは違い、何かしらの目的を持ったその表情は、生気を取り戻したかのようだった。
家の中での沈黙を破るその声は、希望と新しい冒険の予感に満ちていた。
そう、彼はもはや「引きこもり」ではなくなったのだろうか?
家のドアを閉じ、外の世界に足を踏み出す勇気。
そんな小さな一歩が、彼にとっては大きな飛躍となる。
だが、その背後には、依然として影が潜んでいる。
ゲームというデジタルな世界に頼らざるを得ない現実。
現実の苦味から逃れるために、ポケモンという幻想の中に身を隠すことが、果たして「引きこもりの克服」と言えるのか?
ポケモンGOをするためにショッピングモールや公園を歩き回る姿は、引きこもりだった日々の姿とは明らかに違う。
だが、それは単なる外出でしかないのか、それとも本当の意味での「引きこもりの克服」を意味するのか。
クレイジーソルトのように、隠すべきものが露わになっているが、誰もその矛盾には目を向けない。
彼がポケモンを追い求めて外に出るその姿を見て、親としての喜びは当然ある。
しかし、その一方で、引きこもりの根底にある原因が解決されたわけではないという冷徹な現実もある。
外の世界に一歩を踏み出すことは重要だが、その歩みが本当の意味での自由への道なのか、それとも新たな逃避への道なのか。
答えはまだ見えていない。
彼がどこまで行けるのか、親として見守りながら、彼の成長を信じるしかないのだろう。
クレイジーソルトの矛盾に目をつむりながらも、その風味を味わうように。